モデル・優恵の笑顔日記「明日も笑う所存です。」
ESSAY vol.21
【モデル・優恵の笑顔日記『明日も笑う所存です。』】 Vol.21「冬休みが嬉しいです。」
憧れの人を胸に。
中学3年生の時に、クラスメイトが見せてくれた雑誌「an・an」に出ていた日本人のモデルさんは、甲田益也子さんとくればやしよしこさんでした。ロングヘアのふたりが並んで立ってまっすぐにこちらを見ている写真が印象的で心惹かれました。それからしばらくしてわたしもモデルになり、甲田さんとくればやしさんと、それぞれにお仕事でご一緒させて頂く機会に恵まれました。雑誌の中のあの憧れの人が隣でメイクをしているのです。それは今思い返しても、とても幸せなことでした。
25歳で命の洗濯。
初めてプライベートで沖縄を訪れたのは25歳の夏の終わりでした。少し長く休みを取り、竹富島へ行きました。牛車で島を一周して、おじいの奏でる三線と島唄を聴きました。集会場で小さな子供たちの「将来の夢」という発表会を観て、その可愛さに涙があふれました。高い樹の枝にぶら下がる大きなフルーツバット(コウモリ)に遭遇して驚いたり、たくさんの蛍の光に感激したり、星の砂の砂浜に寝転んで本を読んだり、島を満喫しました。船で石垣島へ渡り、ガラス工房を訪ねて旅の記念に深いブルーの四角い器を買いました。「命の洗濯」とはあの数日間のことだったと思います。
編み物は完成しません。
幼い頃のわたしは、母の編んだ裾に房の付いた黒いポンチョを着ていました。小学校に上がると、教室の椅子に敷く座布団のカバーも母が編んでくれました。わたしは冬休みの自由課題で母に鉤針編みを教わり、膝掛けを目指して編み始め、中途半端な大きさで冬休みが終わりました。中学3年生の頃、クラスメイトのお母さんに棒編みを教えてもらい、セーターに挑戦しましたが、袖を編みませんでした。チョッキとして完成させれば良かったと、あとで思いました。あれ以来編み物はしていませんが、綺麗な毛糸を見ると欲しくなってしまうのです。
現実的なクリスマス。
わたしが幼い頃、我が家ではサンタクロースは外国のキャラクターの扱いでしたので、イヴの夜に「サンタさん」を待ったことはありませんでした。欲しいものをきちんと父と母に伝え、祖母はその時期になると電話で希望を訊いてくれました。わたしの父はとても現実的な人だったのです。随分と大きくなるまで靴下を吊るし、「サンタさん」にミルクとクッキーを用意していたという友人の話を聞いて、とても驚きました。クリスマスは大切な人たちに贈り物をする素敵な習慣、と楽しむようになったのは大人になってからでした。
文と写真・優恵
優恵
ゆえ
モデル・俳優。ティーン誌『mc Sister』の専属として活動を始め、カバーモデルをつとめる。『non-no』『SO-EN』など多くの女性誌、TVコマーシャル、ファッションショーなどで活躍。20代後半からは映画、ドラマに出演し、活動の場を広げる。近年の出演作品に、美玖空トライアル公演「女は女で、女である」(2021・美玖空 脚本/演出)、『秘密のフレグランス』(2021・富田大智 監督)、『Motherhood』(2019・萬野達郎 監督)、『しあわせだったにゃよ』(2019・利重剛 監督)、『午後の悪魔』(2017・中村真夕 監督)、『アイズ』(2015・福田陽平 監督)、『PASSION』(2008・濱口竜介 監督)、インスタシネマ『女図鑑』(2019・美玖空 脚本)などがある。ドラマとファッションとおいしいものと花をこよなく愛する。フォトエッセイ『昼寝の前に』を連載中。https://6ropeway6.com/
撮影・青木和義