「美しい女性と香り」への憧れ。
下着でしょうか? それとも、ジュエリーでしょうか? 私にとって香りはもはや、自分の一部。仕事でもプライベートでも、纏っていると顔が上向きになり、纏っていないと口角が下がる。つけるのを忘れて家に戻ったことがあるほど、なくてはならないもの。じつは、この習慣が当たり前になった背景には、ある言葉との出会いがありました。「美しい花に香りがあるように、美しい女性にも香りがあってしかるべき」。ジャン・ポール・ゲラン氏の名言に、美しい女性になりたいなら自分を香らせること、そう教えられた気がして。
香りに包まれる、五感がほどける。
私の場合、香りの「幅」がとても狭くて、その分、これと思った香りとは付き合いが深く長くなります。身に纏うフレグランスはもちろん、スカルプオイルだったり、ディフューザーだったり。大好きな香りに包まれていると、嗅覚からの心地いい刺激が五感をほどいてくれる気がします。忙しくていらいらしたときや、なんとなく気分が塞いだときに、香りが無意識のうちに、深呼吸やストレッチを促してくれる、みたいな。もっとも原始的で本能的な嗅覚を研ぎ澄ますと、いろいろな場面で健やかさを取り戻せるはずです。
本能の幸福が、表情や言動で巡るように。
かつて、「無香信仰」時代があったこと、大人なら誰しも記憶に新しいと思います。ところが、今、その価値観は180度変わって、美容のみならず、家事にも入浴にもと、生活に香りが不可欠になりました。ところが、いきなりの変わりぶりに、「香害」などという、ネガティブな言葉が生まれたのも事実。常識や思いやりを持って、香りとの付き合い方が、自分勝手にならないように。大好きな香りによって引き出された本能の幸福感が、表情や言動に乗り移ってまわりまで巡り巡るように。ここにも大人のセンスが現れるのだから。
香りはその人だけの「嗅覚的な指紋」。
先日、ある「名香」の発表会で、こんな言葉を耳にしました。「香りは、嗅覚的な指紋」。人が纏う香りは、唯一無二。だから、感情を揺り動かす、記憶に刻まれる。はっとさせられました。自分の一部になったこの香りは、私という存在を語り出すもの……。そう言われた気がして、来る日も来る日も、もっと深く長くともに過ごしたいと、香りへの愛を再確認しました。もう一度、美しい花に香りがあるように、美しい女性にも香りがあると、自らに言い聞かせたいのです。年齢を重ねることが、なんだか楽しみになってきました。
松本 千登世
まつもと ちとせ
美容エディター。航空会社の客室乗務員、広告代理店、出版社をへてフリーに。多くの女性誌に連載をもつ。独自の審美眼を通して語られるエッセイに定評があり、絶大な人気がある。近著に『「ファンデーション」より「口紅」を先につけると誰でも美人になれる 「いい加減」美容のすすめ』(講談社刊)。著書に『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。』『もう一度 大人磨き』など多数。
文・松本千登世 撮影・目黒智子 構成・越川典子